いやぁ、昨晩は楽しくライブさせていただきました!阿部恭子嬢はじめ、ご一緒させていただいたウッチー(Dr)&トキミツくん(B)お疲れさま!トキミツ君は初めましてでしたが、キャラといいプレイといい相当イカしています!これまた新しい出会いに感謝。ウッチーは来月のイズモのライブに参戦決定。心強いっす☆阿部恭子嬢よ!ホント楽しかったよん☆サンキューね♪
本日、待ちに待った『CHE/39歳 別れの手紙』観覧。映画終わってからしばらく席立てなかったね。いろんな思いがアタマをぐるぐるぐるぐる。本を結構読みあさっていたのでストーリーの殆どを理解して臨んだのだが、映像として具体的に脳にインプットされるとヤバいね、マジ。派手な演出やわざとらしいストーリー回しはほとんどなく、本物さながらのドキュメンタリー的な作り

になっていたので、感情移入が半端ナイ訳よ。泣ける、というよりかは、『苦しい』という感覚が胸からお腹の辺りにかけて未だに渦巻いているのだよ。
『キューバでの(革命における)自分の役割は終わった』という冒頭のカストロにあてた手紙。もうね、この手紙に集約されているんだよ、チェ・ゲバラの全てがさ。極めて結果論で、なおかつ2009年を生きるイズモの総合判断としてはさ、正直『なんで勝ち目のない戦に出向くかね?』なんだけれどもさ、行かない訳にはいかなかったんだろうなぁ、本能なのか理論の行き着いた先なのかは解らないけどさ。
映画を観ながら、今まで考えた事もない思いが過った。この人の発想って『個人』としてではなくもはや『自分は万物の流れの一部である』という哲学を感じる。ちょっと仏教っぽいのかね?手塚治虫の『ブッダ』に出てくるアッサジ(自ら虎に食べられちゃう男の子)を思い出した。アッサジもそうなんだけれど、決して『自己犠牲』的なものではなく自然に身を任せた『結果』なのかなと。『人間』という枠を超えた『魂』もしくはもっとスケールの大きな(宇宙?もっと大きい?)『意識』の階層で物事を判断している人のように思えた。哲学家サルトルが『20世紀で最も完璧な人間』と謳った所以なのだろうか?いや、21世紀になったところで『こんな人』いるんだろうか?
チェが亡くなったのが1967年。ワタクシが生まれたのが1966年。我々世代がチェの亡くなった年齢を超えて『今、何故チェ・ゲバラ?』なのかということに何か意味が有るのかも知れないし、ないのかも知れないけど、もしかしたら、彼の『理想郷』としていたものを検証することによって何だかしら得るものはあるかも知れないね。チェの実の子供達がワタクシとほぼ同世代なんだけど、その子供達に残された手紙に
※世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、それがどんなものであれ、それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それが一人の革命家のもっとも美しい資質なのだ※
もしかしたらばチェは『言葉』で世界を変えられたかもしれないのになぁ…と痛切に感じてしまう訳ですよ。
2009年を生きるイズモとしては。